朝を迎えてバタバタと葬儀の準備が始まる中、たくさんの方が葬儀の参列のために来始めます。
父は長年同じ支店で勤めていたため、父の会社関係者も多く来ていただけました。そして母を知る人もたくさんいます。また兄も地元の支店に2年いたため兄の仕事の上司や同期もたくさん来ていただきました。また私の職場や以前の職場の人たち、友人も来ていただけました。
そして遠距離恋愛中の私の彼(今の旦那)も来てくれました。生前には紹介できませんでしたが、父や兄、祖父母は少し喜んでくれました。
葬儀の前には会って話す時間などもあり、慌ただしくも通夜式に引き続き懐かしい時間でした。
葬儀
いざ葬儀の時間が近づきます。遺族、親族が着席し、来賓の方々が着席する。
葬儀が始まり読経が始まります。入院中からの寝不足もあり、長い読経で睡魔が来ます…。
来賓の人数も多いため、焼香の時間も長く、焼香の列を見ながらふと思う。このまま葬儀が終わったらお母さんとお別れになる。このままもう少し終わらなければいいのにと思う。
焼香が終わり、母の思い出の写真で振り返る。曲は千の風になって。自分たちで選択した写真だけど涙が止まらなくなる。ムービーが終了。喪主の挨拶。父の挨拶はいつもの饒舌さとは違い、少しずつ詰まりながらも、母の事、今日のお礼、さすがだなと感じた。いよいよ出棺の準備。
斎場に飾られた花を棺に入れて、蓋をする。父が位牌。私が遺影、兄が骨壺を持ち車に移動する。外で待っていらっしゃる参列者の方々に兄が最後に挨拶をする。
葬儀の日はとても良い天気で、朝からずーっと斎場の中にいたので快晴の空がまぶしく感じました。霊柩車の助手席に父。私は後部座席に乗り込み、母との最期の時間を過ごしました。あわただしさの中のひと時、ぽかぽかの天気で母の棺に寄り添いながらうとうととしながら斎場に向かいました。
火葬→収骨
私の住む市は、人口も多いため火葬場も非常に広いです。火葬場に到着してからは時間が決まっているためさらに淡々と時間が流れていきます。最後のお別れをする部屋に入り、抜けると、長い通路に同じ火葬の炉の蓋がずらりと並び、炉の番号、喪主の名前を確認し火葬の炉に入っていきます。
喪主が点火のスイッチを押す。
控室で終了を待つ間みんなで昼食をとる。新しくなったこともあり施設はとてもきれいで、ホテルのルームサービスのように食事の注文もできました。父たちの姿を探すと、喫煙ルームで煙草を吸っていましたが。喫煙ルームは大変狭く、ぎゅうぎゅうのなかタバコを吸うたくさんの人々。広い施設で唯一の人口密集地帯でした。
収骨は足元から火葬場の職員の方の指示に従い、骨壺に収めていきます。パッチワークや陶芸など手先が器用だった母なので、手の指の骨をたくさん入れてあげました。
分骨をすることになっていたため、小さな骨壺にも足元から順番に入れていき、骨を無事に収骨していきました。なぜ分骨したかはまたそのうち。
帰りのバスは終わった安心感と寝不足で爆睡。骨壺を抱える兄も爆睡。落としませんように…。と思いながら落ちる瞼をあげることができませんでした。
精進落とし
収骨が終わったら、斎場に戻り精進落としを行いました。親族などの人数に合わせてお寿司などを注文していましたが、母方の親族の方がどなたか亡くなられたということで、収骨が終わった後すぐに地元に帰られてしまいました。
結局父の兄弟家族、祖父母と人数少なめの精進落としとなりました。
通夜の日に流れていた時間は一気に過ぎ、数時間前にはあった母の体は骨となり骨壺に収まり帰ってきました。
長かったようで短い時間。母との別れから数日。葬儀が終わっても現実なのか夢なのか。これから続く初七日から四九日までの予定。その他たくさんの手続きがあることを斎場の方に説明され、今後の忙しさを感じながら自宅に帰り、斎場の人が再度自宅に来て、納骨するまで家に鎮座する祭壇を作りに来てくださいました。
次は香典開封の儀、四九日までその後の段取りについて書こうと思います。
なかなかテーマの相続手続き出てきませんが、次からちょっとずつ出てきます。